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    こんにちは。YUKIです。
    多くの人が「放送禁止用語」という言葉を聞いたことがあると思います。
    放送禁止用語とはテレビやラジオなどのマスメディアにおいて、
    何らかの理由によりその放送における使用が禁止されている言葉のことを指します。

    放送禁止用語の定義とは?


    日本においては電波法に基づいた放送禁止用語が設定されていますがこれはごく一部で
    放送禁止用語とされている殆どは放送事業者の表現の自主規制です。

    わたしたちが普段「放送禁止用語」として認識している言葉や単語は
    「法で取り締まられた言ってはいけない言葉」ではなく
    テレビ局やラジオ局などが倫理的(社会的)観点から自主的に
    「言わない方が良い言葉」として規定したものであり厳密には「放送注意用語」などと呼ばれます。
    実際、NHKにおいては「放送禁止用語」は2008年に事実上廃止されています。

    倫理に反し良俗公序に反する言葉をわたしたちは知っています。
    それらは親しい人との会話、SNSの中にも紛れている可能性もあります。
    ではなぜ、わたしたちは言葉で裁かれることはないのでしょうか。

    表現の自由


    日本では憲法により"表現の自由"が権利として認められています。
    思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表したりする自由が個人のみならず
    組織にも権利として認められているためです。
    つまりわたしたちに「使ってはいけない言葉」というものは存在しないのです。
    あらゆる言葉を使う自由を与えられていると同時に、使わない自由も与えられており
    そしてそこには"使う責任"と"使わない責任"が伴うと考えられます。

    誰が使うか、どう使うか、どこで使うか


    以下の言葉も、実は放送事業では放送注意用語に該当しています。

    「八百屋」「ペンキ屋」「運ちゃん」

    ※これらは放送適正用語としては「青果店」「塗装業」「運転手」とされています
    ただし、これらの言葉も本人が使うこと自体は問題がないとされています。
    これは「用語に対して自分が関係者として責任を担える」と考えられているからです。

    近年、インターネットで"推し"と呼ばれる対象者(物)に対し
    自身の予想を上回る感情の高ぶりを表現する比喩として
    【発狂する】【狂う】などが用いられることもありますがこれについても
    実際の精神疾患の症状として同様の言葉が用いられた過去から物議を醸したこともありました。

    このように多くの人にいきわたる可能性がある、という点については
    テレビやラジオと同様であるインターネットにも禁止用語があるのでしょうか。


    これについては結論、ありません


    インターネットという場所でもわたしたちには"表現の自由"があり「使っていけない言葉」というものは存在しないのです。

    もちろん虚偽の情報の流布・悪意ある執拗な暴言については処罰される可能性があります。
    これは表現の問題ではなく、別の観点で法により制限される場合があるためです。

    相手を謗る発言自体は自由ではあるものの、
    自由だからと言って、その表現がもたらす暴力性は無視されません。
    相手への暴力が発生した時点で"表現の自由"とは異なる問題が発生するのです。


    インターネットの伏字は「表現の選択」


    わたしたちは日常において、加害が生まれないように自ら表現を選んでいます。
    インターネットでの伏せ字がその一例です。

    伏せ字はわたしたちにとって
    「『諸事情で本来不特定多数の前では表現を控えたほうが良いと認識している言葉』の問題を
    理解したうえで、使うことを選択された言葉」なのです。

    つまり伏字を使うことで表現されるのは
    表現を推奨してはいけない言葉であることを理解しながら使っている自分自身
    言葉を加工することを選択した社会帰属意識のある自分であるとも言えます。

    使っている言葉は同じであるはずなのに伏せるという表現を選択したあなたは
    おそらく「良識かつ社会的な人である」と自他ともに認識されるはずです。
    そして「丁寧な言葉も選択することができる」ということが社会において『社会人らしい人』として迎合されています。

    このように"表現の選択"は相手との関係をもあきらかにしますし
    "表現の選択"が可能であることこそが<自由>であることの一例でもあります。

    関係が構築しにくいインターネットという不特定多数が閲覧する場所で
    100人中100人を傷付けない表現を行うことはほぼ不可能であるでしょう。

    ・表現の方法は多くもつこと
    ・表現を選択することで、良い関係を構築できること
    ・最善の選択のなかでも誰かを傷つける可能性があること

    どんな状況であってもこの3点は普遍的な考えであるといえるのではないでしょうか。
    これからも"良い表現"の定義について考えていきたいと思います。


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