目次

    デジタル技術の活用と限界-我々はデジタルにどこまで明け渡すのか

    (1)フィルターバブル:自分の興味に囲い込まれる?

    ネットショッピングで買い物をしたことのある人ならばお分かりと思いますが、一度でもスニーカーを買うと、次はこちらのスニーカーを買いませんか、といった提案が表示されることがあります。また、SNSを利用される方ならば、見ていた投稿や動画に関連するものが次々と表示されることがあります。

    このこと自体は、自分の欲しい物が分かっている人にとっては、プッシュ型でサービスの提案をしてもらったほうが探す手間が省けてよいと考えれば、非常に便利な機能と捉えることができます 。

    しかし、必ずしも必要ないものまで購入することになってしまったとか、SNS投稿については飽きることなく次々に投稿を追いかけることになり、気づけば1日が終わってしまった、といった経験をされる方もいるのではないでしょうか。

    ある大学で、ブリュッセルという都市の名前を知らない学生が、アメリカ政治の時事トピックについてとても詳しい、ということがありました。その理由を尋ねると、「推しのハリウッド俳優がSNSで話題にしていたから」とのこと。このように、デジタル的に提供される情報の利用において、我々は知らないうちに自分の関心を拾ってくれる「フィルターバブル」の中にどんどん囲い込まれていき、潜在的に自分にとって必要かもしれない知識には触れることがないまま、心地よく特定の分野に深くのめり込んでいきます。

     (2)知らない人を信頼する?-デジタルがつなぐ宅配サービス

    いわゆる「巣ごもり需要」として、アプリを使った宅配サービスの利用が一気に浸透し、配達員の方の姿を街中でもよく見かけるようになりました。アプリ上で食べたい食品を選択し、クレジットカード等で配達料含めて決済すると、配達員の方が自転車等で自宅まで届けてくれるというサービスで、私自身も時々利用します。稀に商品が別のお宅に誤って届けられてしまった等の場合でもその旨の連絡をすると直ちに返金があり、仕組みの信頼を高く保つ秘訣になっていると感じます。配達員の雇用にコストを多くかけられないお店側と、店舗に出向くことはできないが持ってきてくれるなら多少高いお金を出しても良いと考える顧客側のニーズを、上手くマッチさせています。スマホの位置情報サービスや自転車を漕ぐ運動ついでに副業したい層の労働力の活用にも成功したといえます。

    そうは言っても、サービス利用当初、私には一つの疑問がありました。要するにお店が正式に雇用している方ではない、アプリの会社が依頼する見ず知らずの配達員の方に、お店側の大事な商品を渡すことに抵抗はないのか、という点です。もちろん注文する側としても、見ず知らずの配達員の方が自宅までやってくるということになります。皆さまの中にも同じような疑問をお持ちになった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

    このように、日本のとりわけ都市部では、見ず知らずの人と日頃から会話を交わしたり助け合ったりする環境にあるとは言い難い中で、アプリを通じたサービスの受け手と提供者の調整を図る上では、お互いに「知らない人をある程度信用する」という、古くて新しい判断が必要になった、と言えるのではないかと思います 。

    デジタル技術の利用において、人と人の関係性や信頼関係が重要になる事例とも捉えることができるかもしれません。

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