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    当たり前の感覚を忘れない

    こんにちは。フランス班のオリヴィエです。

    通信技術の発展で大きな力を得た現代人ですが、「パソコン」がどのように機能しているのかすべて理解できている人というのは、私を含めさほど多くはないのではないでしょうか。例えば、スマホで通話した時に聞こえてくる声の仕組み。相手の声だと思っているあの「音」は、デジタル的に最も近い音が合成され再現されたものであって、「あの人の声そのもの」を聞いているわけではない、といいます。とはいえ、我々はもはや意識すらせずそれに馴染んでしまっており、電話の声が本人の声と微妙に違うように聞こえるからといって、日常生活やビジネスにおいて支障が生じることは少ないかと思います。

    ちなみに、鳥やセミが発する音、みなさんにはどのように聞こえるでしょうか。その音を表現するため、我々が用いる語彙には、鳥は「さえずり」、セミは「鳴く」といったものがあります。海外に目をやると、フランスでは鳥やセミには「鳴く、歌う」(chant)が使われる一方、英語では鳥には「さえずる」(tweet)が用いられますが、セミには機械音と同じ(buzz)が使われることもあります。

    このように、音の捉え方ひとつとっても、客観的には声帯や筋肉の振動や共鳴からくる音声について、デジタル技術を経由して認知することが当たり前になっています。しかし、本来、文化によってもその認識の仕方は一様ではなく、国や地域、気候や自然との向き合い方によってむしろ彩り豊かなもののはずです。

    電話の声くらいならよいとしても、我々は、どこまでデジタル技術に安心して身も心も委ねることができるのでしょうか。例えば、赤子が泣き止むまで心地よい揺れを学習して子守をするゆりかごを活用する親は、愛情が足りない、と考えるべきでしょうか。

    本稿のメッセージは、文化的背景、人間の認知の仕組みや常識となっている習慣や刷り込みを直視し、再評価する態度こそ、デジタル社会を生きる上で一層求められていくのではないか、という極めてシンプルなものです。

    次回は、デジタル技術の活用と限界について考えていきたいと思います。

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